当院のホームページを見ていただきありがとうございます、
尼崎立花整骨院の谷口準治と申します。
- 徳島県出身
- 東大阪で10年、奈良県生駒市で4年住んで、現在は尼崎に住んでいます
- 趣味はお酒とゲームとアコースティックギター・エレキギター
- 子供は長女と長男の二人です
目次
身体へのかかわり初めと悩み
私は平成19年から人の身体に触れる仕事をしています。
最初の動機は単に自分で商売がしたかったからです、
そしてリラクゼーションのマッサージ店なら手ぬぐい一枚で始められるだろうと単純に考え、
マッサージの学校に通った後、店舗での勤務を始めました。
その時に感じたこと、『マッサージ店のお客様はやりすぎてるんじゃないのかな?』ということ、
その時の私は揉み方を教わっただけで、医学的な知識はありませんでしたが、
高頻度で来られるお客様の顔色の悪さや、筋肉の異常な硬さ、中毒の様に強いマッサージを受けすぎて、
癒しどころか、身体を壊してしまっているんじゃないのかと感じ、怖くなってきていました。
そんな中忘れられないこともありました、五十肩で腕が上がらない男性のお客様をマッサージさせていただいた時、
何にもわからず触っていたのに、終わってから男性が「腕が挙がるようになった!」と大喜びされ、
まっすぐ上がるようになった腕を「ほら、ほら!」と何度も私に見せてきました、
私もその喜びようにつられて目頭がジワリときましたが、なぜ肩が良くなったのかはさーっぱり分かりませんでした…汗
悩みを吹き飛ばすため、柔道整復師へ
知識がないばかりに生れる『マッサージで壊してないか』という不安、
謎に五十肩を劇的に良くしたときの感動、
この二つを抱えて、働き出して一年が経とうとしたころ、私より一回りほど年上の男性スタッフが同じ店舗に
勤務しだして、空き時間にこの方とよく話すようになりました。
自然と抱えてる思いの相談をしたときに、この男性が柔道整復師の資格について教えてくれたのです。
「身体のことを徹底的に勉強して身体バカになれる」「医療系の資格が取れる」「手で人を治療する資格」
この時、柔道整復師を知らなかった私にはこれらの言葉がとても輝いて聞こえて、
心の中のもやもやがすべて解決に向かい消えていく思いになり、
当時ギリギリ20代だった私に男性が「ぼくはもう年齢的に無理やと思ってるけど、谷口君はまだ若いから
チャレンジしてみたら?」の言葉に、首ちぎれるぐらい思いっきりうなずいて、
話を聞いた時は確か1月か2月だったと思うのですが、その4月には柔道整復師の専門学校に最終ギリギリで入学していました。
学校では解剖学、生理学、一般臨床学、柔道整復理論 等々たくさんの基礎医学を学び、
医大で教授をされている先生方や、開業し臨床に立たれている柔道整復師の先生方の授業は、教科書がメモ書きで
びっしりになるほど興味深く、有意義なものでしたが、学生期間に勤めていた整形外科や整骨院では、
業務の流れは見ることができましたが、私の求める「手で人を治す」治療は見ることができず、悩むことも多い日々でした。
第2の悩みとカイロプラクティックとの出会い
卒業も近づいてきたころ、学校で非常にお世話になっていた恩師から、悩んでいる私に治療所へ見学に来るか、
と言っていただき、お邪魔する機会がありました。
その時初めて『治療』という考えで患者様へ向き合い、施術を行う、「手で人を治す」現場を目撃し、
柔道整復師の資格を知った時と同じように、こんな世界があったのかと、胸が熱くなったのを覚えています。
その治療は『カイロプラクティック』、その中でもガンステッドと言われる治療法が主体で構成されていました。
恩師は、人を治せるのはカイロプラクティックしかないと思っていると話されていました。
専門学校を卒業し、国家資格を得た頃には、治療の技術や理論は就職先で教われるものではなく、
自分で探し、お金と時間を投資して得るものだということに気づいていて、
ここからの数年間は毎月数回休みの日にカイロプラクティックドクターのセミナーに通い勉強を続け、
習ったことを次の日から治療所で実践しての繰り返しでした。
・頭蓋調整 ・トムソンディアフィールドテクニック ・アクティベータメソッド ・SOT
・小児カイロプラクティック ・マタニティカイロプラクティック etc
資格を得てすぐからこういった勉強漬けにしたことは今の私にとって最強の武器になった事は間違いありませんが
数年前の私は、また悩んでいました、今思えば、治療という考えと習った技術にとらわれすぎて、
自分ではない誰かになろうとしてしまっていたのだと思います、施術内容が意固地になりすぎて
患者様を置いてきぼりにして、自分らしさも失ってしまい、失敗も経験し、施術に当たるのが嫌な時もありました。
第3の悩みと、自立した手技治療へ
ですが、ここからが次のレベルアップの階段です、自分で自分のことを良く書くのはどうかと思いますが...
この時悩めたのが良かったのだと思います、悩めない人は間違ったまま走り続けてしまいます、
悩めたから、修正しようとしてそれが進歩になるのでしょう。
子供が思春期を経て大人になっていくように、資格取りたてのバブバブから、一人前の先生となる過程。
はっきり出るまで時間はかかりましたが、結局答えは簡単でした、もっと自由に自分らしくということです。
これもセミナーでバイオメカニクスや神経反射等の基本を学んでいたからこそ出来るのですが、
既存の方法をどんどん自分のやり方にアップグレードしていきました、枠や形にとらわれず、
二つ三つの理論やテクニックを組み合わせて自分なりの方法を患者様の訴えを聞きながら、その場その場で
考え出してトライしていく、そうすると自分のオリジナルのテクニックがどんどん生まれ、
臨床の中で作っていったテクニックなので当然しっかり結果も出ます。
尼崎での開業
平成23年から長女が生まれることを機に、奥さんの実家のある尼崎に引っ越してきました。
子供との時間、プライベートの時間を大事にしてこそ、良い仕事ができると考えているので
住んでいるところから極力近いところで、と探していたところ今の物件が見つかりまして、開業することになりました。
小学生の子供も一人で来ることができるので、学校が休みの日にはお手伝い(遊びに)来てることもあります。
院内に子供の作品を飾ったりして、癒されながら仕事できています(笑)
コロナ禍の中での開業となり不安もありましたが、今までに診させていただいていた患者様方が「先生じゃないと」
と園田方面や西宮、大阪からの遠方からも来ていただけて、しっかりスタートを切ることができ、本当に感謝しています。
治療家として、悩み成長して、結果を出せるようにはなりましたが、徒手治療にゴールはなく
これからも勉強を続け、さらに患者様の症状を和らげる手技を磨いていきます。
来ていただいている皆様に感謝の気持ちを忘れないよう接することを大事にここに根差していきたいと思いますので、
今後ともよろしくお願いいたします。